同性カップルの同棲について

レズビアンカップルは、付き合ってから同棲までの期間が割と短い人たちが多い。

 

しかし、レズビアンカップルにとって、正々堂々と一緒に住むというのはなかなか難しい問題だ。

 

2人が同棲するにあたって、例えば下記のパターンが考えられる。

 

①片方の家に転がり込む

②2人で住むための新しい家を探す

 

レズビアンカップルに関わらず、①の場合、もしその部屋、もしくは家をどちらか片方が所有している場合、オーナーは当人なので特に問題はない。

しかし、その部屋を賃貸している場合、契約の際に届け出ている入居者に変更がある為、厳密には届け出が必要であるが、ここらへんは結構みんなうやむやにしているカップルが多いのではないだろうか。

 

②の場合、2人で部屋を借りるとなると関係をどう不動産屋に説明するというハードルが待っている。

関係性を「カップル」というのか、「友達」というのか。

 

知り合いの中には100%正直に、「自分たちはカップルです」と不動産屋にもオーナーにも説明し、部屋を借りている人もいる。

しかし、このような理解のあるオーナーさんに出会えるケースは残念ながら稀であり、なかなか上手くいかないことがほとんどと聞く。

大概は「友達です。」と言って、借りているのではないだろうか。

 

そもそもルームシェアは男同士、女同士、どんな組み合わせであろうと、基本的に敬遠される場合が多い。兄弟であっても嫌がるオーナーが多いそうだ。

部屋を汚く使われるのでは?という心配や、片方が結婚して出ていくことになった時に懸念されるリスク(短期解約、家賃の回収etc)が高いと推測されるからだ。

日本では、婚約関係でなければ男女のカップルでも同棲するのは難しいのが現状であるが、同性カップルは更に難しい。

 

去年、渋谷区では「同性パートナー条例」ができた。

これに追随して、日本国内の他の地域でも似たような動きが出てきたことは、LGBTがより住みやすい世の中になる小さな一歩として、とても喜ばしいことだと思う。

 

渋谷区「同性パートナーシップ条例」の解説 | アンパサンド法務行政書士事務所によると、この条例によって、同性カップルであるからとして入居を断る仲介業者や大家がいた場合には、条例違反となり、区による調査,指導,勧告及び名称公表等(本条例15条)の対象となるばかりか,不法行為民法709条)等の一般法に基づく損害賠償責任を負う可能性があると考えられるそうだ。

 

しかし、本当は同性カップルだからイヤだという理由があったとしても、なんだかんだ他に理由をつけて断られてしまうということは十分に起こり得るのが現実問題である。

 

要は、世の中全体で同性カップルが認知されること、そして同性カップルのイメージが

世間的にマイナスなのであれば、それがゼロになる世の中になることが大切だと私は思う。

渋谷区が条例を作ったことにより、そういった意味での効果は少なからずあったのではないのだろうか。

 

ちなみに、あくまでも私のまわりでの話だが、実際にパートナーシップ証明を受けているという人たちを聞いたことがない。

しかし、引越しする際に渋谷区を意識して選んだという友達の話は聞いたことがある。

ちょっとでも住みやすくなることを期待して。いずれパートナシップの証明を受けたくなったら受けれるように。と渋谷区を選んだそうだ。

 

今から5年後、10年後日本はどう変わっていくのだろうか。

一日でも早く日本がLGBTにとって住みやすい国になればいいなと思う。

 

 

 

生活をしていくということ

一応土日休みの会社に勤めているのだが、営業職なのでクライアント次第で週末も仕事をすることがほとんどだ。

そんな時には、代休で平日に休みを取ってもいいことになっている。しかし、なかなかこれも取りづらい。

仮に休みを取ったとしても、会社用の携帯にはメールや電話がおかまいなしにかかってくるので、あまり休めた気がしない。

 

それでもこの仕事を選んだのは、自分次第で頑張れば稼げると思ったから。

実際はそんなに世の中思ったようには行かないということや、同じ業界でも別の場所ではもっと稼げるということに気づいたのは、入社してしばらく経ってからであるが、なにはともあれ、

 

私は稼ぎたい。

 

そう思うようになったのは、私がレズビアンとして生きて行くことを決めてからである。

今の世の中、夫婦であっても、嫁が働くのは珍しいことではない。

しかし、周りのノンケの友達と話していると、皆が皆というわけではないかもしれないが、いつかは旦那に養ってもらうんだという考えが奥底に流れているのをなんとなく感じる。

中学の時からの友達と仕事の話になった時に、稼ぎたいんだということを話すと、キョトンとした顔を向けられ、気持ちの温度差を感じたこともあった。

私も自分が女性を好きな自分を知る前、そしてレズビアンとして生きて行くことを決める前は、稼ぐということに無頓着だった。

若かった私は、お金にならない自分の夢を追い続け、本当に好きだと思うことを仕事にして、その仕事で少しでもお金がもらえたら最高だ、と。

そこには、「生活を支える」という概念がすっぽり抜けていた。

子供の頃、私の周りにいた大人の女の人はみんな専業主婦で、生活のためにバリバリ仕事をする女性がいなかったのもある。

 

大人になった私は今、自分のために、彼女のために、周りの大切な人たちのために、何が起こるか分からない未来のために、稼がなければと思っている。

決して、夢を捨てた人間になったわけではない。夢の形が変わったのだ。

 

今日、東京は台風の影響で大雨だった。

今週の土日も仕事だった私の代休と有給は、一ヶ月まるまる休めるほど貯まっている。

荒れ狂う嵐の雨音に一瞬心が折れそうになったが、稼がなければと思い直し、湿気でいつもよりうねった髪をきつく結んでから、家を飛び出た。

 

 

 

揺れるカミングアウト

私はもうすぐ30歳になる。

 

親世代から見ると、結婚を心配される年齢だということは自覚している。

 

私は仲良い友達と兄弟にはカミングアウトをしている。

しかし、親にカミングアウトはしていない。

 

この前、父が東京に遊びに来た。

2人で焼肉を食べながら、やめたほうがいいと強く言ったにもかかわらず、ビールを頼み続ける父。

 

また結婚の話になった。

ひとりで生きるより、男女がつがいで生きることの心強さや、喜びを説く父。

私はひとりではない。彼女がいる。そして彼女との毎日の生活がとても楽しくて、幸せだ。こんな風に幸せがずっと続いたらいいなと思う。

 

何度も言いたくなっては、それを飲み込んだ。

親に言いたいという気持ちと、言えないという気持ちがシーソーの両側で重さ比べをする状況が、ここ最近ずっと続いている。

このまま両方の重さに耐えられず、真ん中でポキっと折れたら、どうなってしまうのだろう。

 

そんなことをぐるぐる考えながら、一旦トイレにたった。

父は、その間に会計を済ませてくれていた。

 

「気をつけて帰れよ。」

 

そういう酔っ払いの父の方が、ちゃんと帰れるか心配だった。

 

今日も言えなかった。

 

言えなかったのは、私が意気地なしだったからなのだろうか。

それとも、言いたかったけど我慢して言わないでいれたから、よかったということなのだろうか。

 

今の私にはどっちなのか、よくわからない。

 

小さくなる父の背中を見えなくなるまで見送ってから、彼女が待つ家へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

プロローグ

ブログのタイトルを「東京レズビアン物語〜Nの場合〜」とした通り、私は東京に住むレズビアンだ。

 

〜Nの場合〜と付けたのは、これから書くことはあくまでもN、つまり私の場合であるというとこを強調したかったからである。

東京に住んでいる人はみんなこうなんだ、とか、レズビアンはみんなこうなんだ、とか…そう思われないためにも〜Nの場合〜を強調することは私にとってとても大切なことなので、あえてタイトルにも入れた。

 

日本人がみんな同じ生活をしていて、同じ考えを持って、同じような性格をしていないように、レズビアンにも色々な人がいる。

ボーイッシュな格好をして一見少年のように見間違われるような風貌をしていても、心の中ではいつか素敵な人にリードされて恋に落ちたいと夢を見る、誰よりも乙女なあの子や、長い髪を綺麗に巻いてまつ毛もアイシャドーもバッチリだけれど、リーダーシップもとれて誰にでもスパッと本音をいう男前なあの子…私自身も色んな人たちと出会ってきた。

 

マイノリティとして自分を意識した時に、気づかされたことがたくさんある。この世界に生きる人たちは本当に多種多様性であるということだ。

この世界というのは、何もゲイ・レズビアンコミュニティだけを指しているのではない。この地球上に生きる全ての人たちは、ファッションも趣味趣向も性格も考え方も好きな人のタイプだって、みんなそれぞれ違う。

 

ということで、このブログでは主に私Nの場合のレズビアン東京ライフ、日常の中で考えたこと、感じたことを綴っていきたいと思う。